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結 論

テーマ
現代における「学び」への提案

考 察

学生にとって一番身近な「学ぶ」ことといえば講義、演習などの授業だが、勉強、学習、学ぶこととはすべての人に共通することである。
文学、歴史に限らず、人間性、生き方、コミュニケーションに到るまでどんなことでも勉強の一環で、
日常の中に学びの要素は手に余るほど転がっており、私たちは一生の中でその中のほんの僅かなものしか得ることができない。だからこそ、短い人生の中で沢山のことを学び、後の世界のためにといえば大袈裟だが、人生を有意義に過ごすために、一つでも多くのことを学ぼうとし、また先人は、学ばせたい、学ばせなければと考えるのだろう。
「学び」それはよりよい人間性を作るための一つのツールのようなもので、生きることと学ぶことは密接に関係しているのだ。

生きていく中で、学び、知り、学習することは必要不可欠であり、切り離して考えられないものだ
例えば朝起きて、「おはよう」と言う
それすらもコミュニケーションという勉強あり、学びの中の一つのジャンルだ。
しかし、「勉強」「学習」といった言葉に変わった途端、嫌煙する人も多い

―なぜか?
沢山の理由があるだろう。
中でも義務教育時代の勉強というものに対する嫌悪からくるものが多いのではないかと思う。
学校という場所で、行なう授業、テストなど、理解できなかったり間違ったり、競い合ったりと恥ずかしかったり、嫌な思いをしたり、中には罵倒されたりと苦労した人も多い筈だ。
だが、よく考えてみるとそれは「勉強」や「学習」といったものに対しての直接的な感情ではなくそれを取り巻く状況で投げ出してしまっているだけではないだろうか?(この場合、教科の得意不得意は考えないものとする)
それで学習、学ぶことへの興味や関心を失い、毛嫌いしてしまうのは悲しいことだと思う

しかし、学校という場を離れ、授業という形ではなく改めて別の形でそれに取り組んだ場合、こんなに面白かったのか、という新たな一面を発見する場合がある
わかりやすく言えば、世界史や日本史などこれらは教科書という範囲を飛び出し、ゲーム、漫画、小説など多彩なコンテンツに取り入れられ、また沢山の人たちに受け入れられている形にまで進化している。
娯楽の中で学ぶ事は、そこに興味や関心が発生し割合とすんなりと頭に入ってくるというのは、多くの人が経験したことがあるのではないだろうか。
勉強、というガチガチに固められた状態でない枠は入り込みやすく、また身構えることもない

生活の中での娯楽の中に「勉強」というものを取り入れるにはどうすればよいだろうか?
研究テーマはそこから始まったといっても過言ではない。
俗に言う、「勉強を勉強としない内からはじめる」という言葉は、勉強になってしまった状態からでは遅いが勉強を勉強としない方法を見出すことならば、できるのではないだろうか。

しかし、本当の意味で何かを「学ぶ」ということは、本人にその気がなければ、いくら目の前に問題を提示したとしても何の意味も持たないであろうし、例えその情報を得たとしても、頭には入ってこない。
そこで、どれだけ自分から「学ぶ」という行為に入り込んでくるか、本人から学習とくくられている分野に興味を持たせられるのか
それが重要なポイントである

これらを解決する方法や手段を見つけていくこと、見出していくことが研究テーマであり
これから付き合っていかなければならない問題であるといえる

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