雨月雨月
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資料①
ゆとり教育
学習者が詰め込みによる焦燥感を感じないよう、自身の多様な能力を伸張させることを目指す教育理念のことである。日本ではこの理念にそって、1977年(昭和52年)、1989年(平成元年)、1999年(平成11年)に、文部科学省は学習指導要領を改訂し、授業時数の削減、学習内容の簡易化、総合科目の新設など
ゆとり教育見直し
中山文部科学相は2006年度に、ゆとり教育の見直しに向けた制度改正に着手した。 「『生きる力』をはぐくむという現行の学習指導要領の理念や目標に誤りはないと考えるが、その狙いが十分達成されているのか。ここに課題がある」と述べている。
そのうえで、
・人間力の向上
・学習内容の定着
・学ぶ意欲を高める
・地域や学校の特色を生かす
という4つの課題を挙げ、授業時間数の見直しや「総合的な学習の時間」のあり方、学校週5日制のもとでの土曜日や長期休暇の活用方法などの検討を要請した。
・「国語力」のアップ
・「理数教育」の充実につながる方策
・教科書や指導方法の改善
など、議論を深めた。中山文科相は、国際調査で子どもたちの学力低下傾向が判明したのを受け、中教審に学習指導要領の抜本的な見直しを審議するよう要請し、具体的な検討課題については、
後日改めて示すとしている。
総合的な学習の時間の導入を学力低下と直結させるのは早計と思うが、授業時間数を減らしたこととは無関係ではないと思う、と述べている。
資料②
学生の学力低下に関する調査結果
下記アンケート資料は、ある大学入試センターにおける
平成11年3月「学生の学力低下に関する調査」の結果である
対象は教員185名によるもの
参考:大阪教育大学
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~kyoyo/oshirase/result.html
ゆとり教育
学習者が詰め込みによる焦燥感を感じないよう、自身の多様な能力を伸張させることを目指す教育理念のことである。日本ではこの理念にそって、1977年(昭和52年)、1989年(平成元年)、1999年(平成11年)に、文部科学省は学習指導要領を改訂し、授業時数の削減、学習内容の簡易化、総合科目の新設など
(wiki)
ゆとり教育見直し
中山文部科学相は2006年度に、ゆとり教育の見直しに向けた制度改正に着手した。 「『生きる力』をはぐくむという現行の学習指導要領の理念や目標に誤りはないと考えるが、その狙いが十分達成されているのか。ここに課題がある」と述べている。
そのうえで、
・人間力の向上
・学習内容の定着
・学ぶ意欲を高める
・地域や学校の特色を生かす
という4つの課題を挙げ、授業時間数の見直しや「総合的な学習の時間」のあり方、学校週5日制のもとでの土曜日や長期休暇の活用方法などの検討を要請した。
・「国語力」のアップ
・「理数教育」の充実につながる方策
・教科書や指導方法の改善
など、議論を深めた。中山文科相は、国際調査で子どもたちの学力低下傾向が判明したのを受け、中教審に学習指導要領の抜本的な見直しを審議するよう要請し、具体的な検討課題については、
後日改めて示すとしている。
総合的な学習の時間の導入を学力低下と直結させるのは早計と思うが、授業時間数を減らしたこととは無関係ではないと思う、と述べている。
(2005年2月16日 読売新聞 参考)
資料②
学生の学力低下に関する調査結果
下記アンケート資料は、ある大学入試センターにおける
平成11年3月「学生の学力低下に関する調査」の結果である
対象は教員185名によるもの
参考:大阪教育大学
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~kyoyo/oshirase/result.html
現在の学習の状況
これらの法令で、多大な影響を受け、混乱したのは教師もさることながら、学生にかかる負担が最も大きい。
その中でもある程度の事は理解していかなければならず、学生と勉強というものとは切っても切れない縁である。国のトップが模索しながら法を定めている状態で、学力を上げろといったところで、簡単についてくる話ではない。
今まで、ゆとり教育のなかで育ってきた子供が、いきなり学習時間と内容を大きく変更され戸惑いや憤りを感じるのは自然な現象である。それを少しでも緩和させるなんらかの手段は必要であるだろう。
結 果
資料①
客観視した状況で、学生の学力低下が見られている。
またQ4に関しては、「学習」というものに対し興味関心が低いことが伺える。
資料②
予習復習を十分にしなければ授業についてこられないよう,授業に工夫を凝らす
考 察
以上のことから、生徒だけではなく、教員も様々な苦悩と努力の面が見られるが、生徒の学力の低迷は免れず、学習への興味や関心・意欲が落ちている。
受験戦争や大学同士の成績順位の抗争など、今日の日本の学習状況や学校のあり方というものが、本来の学習というもののあり方に少し疑問を持つように感じられる。
学習・学ぶということは、大金を積んだり、競い合うことをするべきものなのだろうか。
現在の状況は、学ぶ事がビジネスとして成り立ってしまい、それが当たり前のように浸透されている。確かに教える側はそれなりの代償を与えられなければ理に適わない。だが、度を越した学習というものへの支払いはいかがなものかと考える。
学習とは習い学ぶべきことであり、生きている日常全てが学習である。
誰かから指示されて勉強をすること、それを指示するのはおかしなことなのではないだろうか。
義務教育を終えた後、上級学校に入る。それは教育側からすれば確かに「自分から望んでした」ことだろう。しかし、今日の日本の状況は中学校を卒業した程度では、自活していけない状態であるだろう。だからこそ、仕方ないから上の学校を目指して就職に有利になるようにする。これらに当てはまる学生は決して少なくないだろう。だからこそ、学習に意欲や興味関心が薄れていくのであり、学習能力の低下に繋がるのは当たり前であるだろう。
これらの法令で、多大な影響を受け、混乱したのは教師もさることながら、学生にかかる負担が最も大きい。
その中でもある程度の事は理解していかなければならず、学生と勉強というものとは切っても切れない縁である。国のトップが模索しながら法を定めている状態で、学力を上げろといったところで、簡単についてくる話ではない。
今まで、ゆとり教育のなかで育ってきた子供が、いきなり学習時間と内容を大きく変更され戸惑いや憤りを感じるのは自然な現象である。それを少しでも緩和させるなんらかの手段は必要であるだろう。
結 果
資料①
客観視した状況で、学生の学力低下が見られている。
またQ4に関しては、「学習」というものに対し興味関心が低いことが伺える。
資料②
予習復習を十分にしなければ授業についてこられないよう,授業に工夫を凝らす
考 察
以上のことから、生徒だけではなく、教員も様々な苦悩と努力の面が見られるが、生徒の学力の低迷は免れず、学習への興味や関心・意欲が落ちている。
受験戦争や大学同士の成績順位の抗争など、今日の日本の学習状況や学校のあり方というものが、本来の学習というもののあり方に少し疑問を持つように感じられる。
学習・学ぶということは、大金を積んだり、競い合うことをするべきものなのだろうか。
現在の状況は、学ぶ事がビジネスとして成り立ってしまい、それが当たり前のように浸透されている。確かに教える側はそれなりの代償を与えられなければ理に適わない。だが、度を越した学習というものへの支払いはいかがなものかと考える。
学習とは習い学ぶべきことであり、生きている日常全てが学習である。
誰かから指示されて勉強をすること、それを指示するのはおかしなことなのではないだろうか。
義務教育を終えた後、上級学校に入る。それは教育側からすれば確かに「自分から望んでした」ことだろう。しかし、今日の日本の状況は中学校を卒業した程度では、自活していけない状態であるだろう。だからこそ、仕方ないから上の学校を目指して就職に有利になるようにする。これらに当てはまる学生は決して少なくないだろう。だからこそ、学習に意欲や興味関心が薄れていくのであり、学習能力の低下に繋がるのは当たり前であるだろう。
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